旧寿原邸(小樽市)

旧寿原邸小樽を代表する実業家寿原(すはら)家の邸宅である。1912年(大正元年)、小樽で最初の衆議院議員で小豆将軍と呼ばれた雑穀商高橋直治が建築し、後に壽原外吉に引き継がれ、1986年に同家より小樽市に寄贈された。庭園は、斜面を三段に地割りし、上段には和室に面して池を配した日本庭園があり、中段には洋間に六角雪見灯籠を配し、下段では小樽港を見下ろすことができる。玄関までの洗い出し床、 [続き・地図]

旧青山別邸(小樽市)

旧青山別邸青山家は明治・大正を通じ、鰊漁で巨万の富を築き上げた。その三代目娘、政恵が17歳の時、山形県酒田市にある本間邸に魅せられ、1917年(大正6年)から6年半余りの歳月をかけ建てた別荘である。当時酒田市の宮大工50数名が建てた建物の三方には庭があり、家族だけが見るために造った池泉庭、松と石を組み合わせた、趣深い枯山水の中庭などがある。庭園には各地から取り寄せた材料がふんだんに使用されている。 [続き・地図]

玉泉館跡地公園(岩見沢市)

玉泉館跡地公園1904年(明治37年)から1979年(昭和54年)まで玉泉館(ぎょくせんかん)という温泉旅館の日本庭園として地域に親しまれ、花見の名所となっていた。その後旅館は廃業したが、1994年(平成6年)に岩見沢市が買収し、2001年(平成13年)、名称を「玉泉館跡地公園」として公開された。整備にあたっては、既存の樹木や心字池を活かし、玉泉館の面影がしのべる日本庭園として整備されている。 [地図]

旧相馬邸庭園(函館市)

旧相馬邸庭園相馬鉄平は1861年(文久元年)に箱館に渡り、米穀と鰊漁で財をなし、一代で道内屈指の豪商となった人物であるが、1908年(明治41年)、現在地へ和洋折衷の居宅及び庭園の造成を行った。居宅二階からの庭園とその下に旧イギリス領事館、その向こうに函館湾から七飯の方向まで眺望でき、山手は旧函館公会堂、函館山を見ることができる。敷地面積520坪、奥行きはないが函館湾を借景とした立地に贅沢な庭園といえる。 [続き・地図]

光善寺奥庭園(松前町)

光善寺奥庭園光善寺(こうぜんじ)奥庭園は江戸後期1848~53年(寛永年代)に作庭された庭園である。文化・天正・明治と三度の大火により、庭園規模は造成当時から縮小されている。造成当時、裏山西側を流れる坊主川を堰き止め、凝灰岩の岩盤に長さ630m、高低差約9mの地下導水路を掘削し、池の直下まで水を引いた遺構が残る。昭和50年代に復元が図られているが、枯滝を中心に復元作業を進めた結果、面目を一新したが、池の配水はされていない。 [地図]