光善寺奥庭園(松前町)
光善寺(こうぜんじ)奥庭園は江戸後期1848~53年(寛永年代)に作庭された庭園である。文化・天正・明治と三度の大火により、庭園規模は造成当時から縮小されている。造成当時、裏山西側を流れる坊主川を堰き止め、凝灰岩の岩盤に長さ630m、高低差約9mの地下導水路を掘削し、池の直下まで水を引いた遺構が残る。昭和50年代に復元が図られているが、枯滝を中心に復元作業を進めた結果、面目を一新したが、池の配水はされていない。
地域:北海道
光善寺(こうぜんじ)奥庭園は江戸後期1848~53年(寛永年代)に作庭された庭園である。文化・天正・明治と三度の大火により、庭園規模は造成当時から縮小されている。造成当時、裏山西側を流れる坊主川を堰き止め、凝灰岩の岩盤に長さ630m、高低差約9mの地下導水路を掘削し、池の直下まで水を引いた遺構が残る。昭和50年代に復元が図られているが、枯滝を中心に復元作業を進めた結果、面目を一新したが、池の配水はされていない。
地域:北海道