釧路八重(釧路市等)

釧路八重釧路地方は冬の寒さが厳しく、春の到来も遅いため、桜前線の到達が一番遅い地域の一つである。生育できる樹種もほとんど自生種で、花見の桜もエゾヤマザクラに限られていた。戦前から釧路で造園業を営んでいた稲澤六郎氏は、エゾヤマザクラのあとに咲く八重の桜ができないかと、色の濃い桜を見つけてはタネを取って播いていたところ、1967年(昭和42年)に咲いた株の中から、濃いピンクで八重咲の株が見つけ、接ぎ木による増殖を成功させた。普及に目途が立って間もなく稲澤氏は亡くなったが、その遺志は引き継がれ、市内各所で艶やかな花を楽しむことができるようになったものである。エゾヤマザクラ唯一の八重咲品種の育成や、接ぎ木増殖法を確立するなど技術的価値が極めて高く、原木の保全や苗木の増殖に市民が立ち上がるなど、地域全体でこの木を支えていることも高く評価される。