平城宮跡から東部の山並みへの眺望(奈良市)
広大な史跡地の先に、東部の山並みを望むことができる。平城宮跡は地元有志らによる調査や保存活動を経て、大正11年に国史跡、昭和27年に特別史跡となり現在に至る。広大な土地の国有地化が進められると共に、奈良文化財研究所による発掘調査・研究、さらに遺跡整備の先駆けとして様々な手法が試みられ、現在の姿に変化してきた。平城京が造営された往時の地形、自然環境を想起することができる。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
広大な史跡地の先に、東部の山並みを望むことができる。平城宮跡は地元有志らによる調査や保存活動を経て、大正11年に国史跡、昭和27年に特別史跡となり現在に至る。広大な土地の国有地化が進められると共に、奈良文化財研究所による発掘調査・研究、さらに遺跡整備の先駆けとして様々な手法が試みられ、現在の姿に変化してきた。平城京が造営された往時の地形、自然環境を想起することができる。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
若草山と佐保川、桜並木が一体となった眺望。桜並木は江戸末期、奈良奉行川路聖謨が町民の協力で植樹したのが始まりとされる。佐保川は古より歌にも詠まれる美しい川だったが、第2次世界大戦中~戦後は酷く汚染され、桜並木も廃れていった。地元住民が1960年頃 から清掃や浄化活動、さらに植栽を始めた結果、水質は徐々に改善され、桜並木も復活した。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
猿沢池水面の背後に堤の樹林地が広がり、興福寺五重塔と南円堂がランドマークとして位置する。南都八景のひとつに「猿沢の池」が挙げられており、以後も絵画や写真を通じ、一貫して広く知られてきた眺望である。背後の樹林地は、奈良公園整備で松、桜、シダレヤナギが植栽されてきたが、近年は常緑広葉樹の生長が進んでいる。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
淡路島に張り付くように紀淡海峡沖に位置する南北2.5kmほどの砂州によって形成された無人島。江戸初期には、島北端に成山城が築城され、淡路支配の拠点であった歴史や、旧日本陸軍の由良要塞の砲台跡も残る。ハマボウやハママツナ、シオマネキなど塩生湿地の動植物の生息・生育地として、またウミガメの産卵場として、大阪湾における学術上貴重な自然環境を有するとともに、 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
再度山(ふたたびさん)は六甲山地西部に位置する山で、古くは多々部山と呼ばれ、奈良時代に観音霊場(現大龍寺)が山頂に建てられ、現在ではハイキングコースが整備され登山客に親しまれている。もともと照葉樹林が、薪炭用の過剰利用により一時は裸地となったが、明治35年から始まった植生再生事業の結果、再び照葉樹林へと再生した特異な経緯をもち、都市に隣接する六甲山地の自然史や人と自然との関係を理解する上で、価値ある景観を有している。 [地図]
地域:近畿・中国・四国