粉河寺庭園(和歌山県紀の川市)
中門奥の広場と本堂の前庭には約3mの高低差があり、その間に土留めを兼ねて作庭された。結晶片岩(青石)を中心に琴浦紫石、龍門石など紀州の名石巨石で構成される。中央には本堂への石段が組まれ、その左手には枯滝石組がある。巨大な本堂にふさわしい豪快な庭園。参道石段の両側に築かれた特殊な枯山水庭園であり、傑出した豪快さを有する。また、地産の石が多用されており、地域性という観点からも高く評価される。(こかわでらていえん) [地図]
地域:近畿・中国・四国
中門奥の広場と本堂の前庭には約3mの高低差があり、その間に土留めを兼ねて作庭された。結晶片岩(青石)を中心に琴浦紫石、龍門石など紀州の名石巨石で構成される。中央には本堂への石段が組まれ、その左手には枯滝石組がある。巨大な本堂にふさわしい豪快な庭園。参道石段の両側に築かれた特殊な枯山水庭園であり、傑出した豪快さを有する。また、地産の石が多用されており、地域性という観点からも高く評価される。(こかわでらていえん) [地図]
地域:近畿・中国・四国
中心となる名草御殿(奥書院、現在のものは再建)の庭園は、御殿の北西から西方向、杜尾山の山裾に広がる。御殿からの鑑賞を本位とした庭。山裾に池を掘り、北に山水を引き込んだ三段の滝石組を配す。池には大小の亀島鶴島、その他岩島が配され、亀島には珍しい洞窟石組が見られる。流水は池の南西に位置する光明真言殿と山裾の間を流れ去る。重森三玲は江戸初期の貴重な庭園と紹介している。地形を活かし築いた当時の手法を良好に留め、学術的価値が高く評価される。(ねごろじていえん) [地図]
地域:近畿・中国・四国
紀伊水道を望むこの地は万葉の昔より歌に詠まれた景勝の地で、近世には大阪湾の入口に当たることから紀州藩の海防備見張番所が置かれ「番所の鼻」と呼ばれた。幕末当時の様子は安政年間に編集された「異船記」の絵図に示され、それによるとここに大砲を備えるなど台場を構築した(現在もその土塁が残る)。しかしその他は草や芝で覆われ、現状は大きく変化していない。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
天守閣の建つ虎伏山の北西山麓にあり、内堀に面した急斜面を利用し作庭。紅葉渓とも呼ばれ親しまれている。紀州徳川家初代藩主頼宣(よりのぶ)の入国に伴い現状のように整備されたとと伝わる。南西の高地には三か所の滝、それを導く渓流、それに架かる紅葉渓橋、紀州の名石を集めた堀端の豪壮な石組と鳶魚閣(えんぎょかく)などから構成される。意匠・材料共に優れ、江戸初期の城郭庭園として高い学術的価値を有する。 [地図]
地域:近畿・中国・四国