千秋(せんしゅう)公園は、秋田駅の北西約700mの市街中心部にあり、約20haの緑豊かな城跡公園です。秋田藩初代藩主佐竹義宣公が、自然の台地を利用して築城した久保田城の城跡を、祖庭と呼ばれた長岡安平が、城跡を公園化する事業としては全国で初めての試みで造られました。公園内には800本を超えるサクラが植えられており、観桜会の名所として楽しまれています。また、ツツジ・ケヤキ・モミジ・マツ類などの歴史的に重要な樹木もあり、近年整備された市街化中心地区から眺める景観は、 [続き・地図]
地域:東北
2011年3月11日の東日本大震災被害の復興を図ろうと、それまであった陸中海岸国立公園に青森県の蕪島(かぶしま)から種差(たねさし)海岸一帯が2013年5月24日に編入され、“三陸復興国立公園”となりました。(近い将来、リアス式海岸の南三陸金華山国定公園も同国立公園に編入見込みです。)拡張部分は宮古から北に続く「大規模な隆起海岸」の延長で、美しい岩礁が続いています。海岸沿いは、古くからの南部馬の生産地としての牧場管理とヤマセ [続き・地図]
地域:東北
1590年、津軽為信は津軽地方の統一を成し遂げ、豊臣秀吉から津軽三郡の領有を認められました。その後、三男・信枚が為信の後を継いで、徳川家康の養女・満天姫を正室に迎え、大阪冬の陣に参加するなど、幕府と密接な関係を結び、1609(慶長14)年には幕府から築城許可が、1610(慶長15)年には弘前城が完成します。サクラについては、1882(明治15)年と1897年にそれぞれ千本ずつのソメイヨシノが弘前城(公園)内に植えられ、 [続き・地図]
地域:東北
奥入瀬(おいらせ)は戦前の1936年2月1日に指定された十和田八幡平国立公園の中にあります。農林省が進める十和田湖の水を利用しての三本木(現十和田市)の農業開発と内務省推進の十和田八甲田の山岳景観美を国立公園化する政策との板挟みとなって、国立公園となるまで3年近くの月日を要しました。こうして、十和田湖の水はその多くが農業用水としてトンネルを含む運河で下流の三本木に運ばれており、奥入瀬渓流は残った十和田湖水を観光放流として流している川なのです。 [続き・地図]
地域:東北
朝倉彫塑館は、彫塑家朝倉文夫(1883~1964) が住居兼アトリエとして自ら設計・監督をし、8回におよぶ増改築の後、昭和3年から7年の歳月をかけて昭和10年に現在の形となった。本館は、西洋建築(鉄筋コンクリート造)のアトリエ棟と、竹をモチーフとした日本建築(数奇屋造り)の住居棟で構成され、本館のアトリエ棟屋上菜園は、朝倉が彫塑塾を開校していたとき、園芸の授業のため使用していたものである。屋上に植栽された果樹や菜園が現存し(現在は花壇)、初期の屋上緑化技術が残るものとして貴重である。 [地図]
地域:関東
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