中部

真田邸新御殿庭園及び松代城下町の泉水路と池庭群(長野市松代町)

真田邸新御殿庭園真田(さなだ)藩十万石の城下町が長野市松代町である。1864(元治元)年に九代藩主・真田幸教が松代城の南に新御殿を建てた。庭園はその時に作庭されている。自筆の書『水心秋月亭図巻』が残り、絵が添えられ、京都から庭師を呼び造ったと記されている。庭園には町の水路から水が入る。池が広がり、遣水が流れ、優美な姿を形成し、背後には山々を望んでいる。図巻の絵を参考にし、発掘調査の成果を踏まえて、庭園が復元整備された。一方、町には江戸時代からの水路網が残され、100カ所ほどの [続き・地図]

あがたの森公園とヒマラヤスギ並木(長野県松本市)

あがたの森公園とヒマラヤスギ並木あがたの森公園は旧制松本高校の跡地に造られた公園である。戦前、松本高等学校は自由闊達な気風で知られ、当時珍しかったヒマラヤスギの並木はキャンパスプランのもとに、1919(大正8)年に二代校長であった植物学者の大渡忠太郎が、学校敷地の中心軸となる園路に植樹したものを中心としている。この並木は約150mにわたり、両側に25本程の大木からなる。ヒマラヤスギの並木と旧制松本高校の校舎はあがたの森公園のシンボルであり、信濃教育としての歴史文化の香り高い風致を保存する公園である。 [続き・地図]

上高地(長野県松本市)

上高地大正池から横尾に至る全長約10km、穂高連峰等の3,000m級の山々に囲まれた梓川沿いの平坦地を上高地(かみこうち)と呼ぶ。W・ウェストンに代表される外国人らはその山岳景観を「日本アルプス」と称し、世界に紹介した。明治以降の西欧の文化、科学的知識の流入を背景として、日本の伝統的風景から新しい近代的風景の発見につながる重要な舞台となった。焼岳の噴火による大正池の出現、釜トンネルの開通により電源開発と観光開発が加速した。 [続き・地図]

りんご並木(長野県飯田市)

飯田市リンゴ並木1947(昭和22)年に発生した「飯田の大火」の復興のための都市計画のもとに、幅25mの防火帯道路が造られた。りんご並木は、1952(昭和27)年に飯田市立飯田東中学校の生徒たちが提案したことから生まれ、翌年に生徒たちが植樹した。りんごの木は中学生の手で現在も育てられ、管理されている。1999(平成11)年には、中学生を含む地域住民によるワークショップを通じてりんご並木全体が公園として再整備され、現在の姿に至っている。 [続き・地図]

光前寺庭園(長野県駒ヶ根市)

光前寺庭園光前寺(こうぜんじ)は長野県駒ヶ根市の中央アルプスの山裾に立地した寺である。860(貞観2)年に本聖上人(ほんじょうしょうにん)により開基されたといわれている。仁王門から入る参道の奥に本堂があり、その前に庭園がある。池には中島があり、十王堂と弁天堂が左右に置かれ、池のそばには経堂と三重塔が置かれている。弁天堂は室町時代の様式を持っている。池の南西にある大きな石を組み合わせた龍門瀑から水が流れ落ちている。 [続き・地図]