近畿・中国・四国
岡山県三大河川の一つ高梁川は、農業用水の重要な供給源である一方、かつて度重なる洪水被害をもたらしていた。また渇水時には水争いが絶えなかった。このような背景から明治43年(1910)から大正14年(1925)にかけて大規模な河川改修工事が実施され、渇水時の水争いの解消と農業用水の適切な分配を目的とした取水樋門、配水池、配水樋門などが作られた。南配水樋門は、このうちの一つであり、現在も活用されている国内最大級の樋門である。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
瀬戸内海西部、芸予諸島を構成する大久野島は、数奇な歴史をもつ。古くから内海航路の要衝であったこの島には、日清戦争後に内海防衛のため芸予要塞(砲台)が建設され、さらに要塞廃止直後には陸軍の造兵廠火工敞忠海兵器製造所が建設着手され、昭和4年(1929)から20年(1945)まで、ここで毒ガス製造が続けられた。昭和25年(1950)に島全域が瀬戸内海国立公園の第2次指定対象地となり、昭和38年(1963)には「国民休暇村」として整備されるようになった。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
瀬戸内海西部、芸予諸島を構成する島のひとつ、佐木島南部の向田野浦に広がる信仰と生活の景観である。穏やかな入江に面した浦の波打ち際に、高さ約2.7m、幅約約4.7m、厚さ約4mの巨大な花崗岩があり、その西面に秀麗な地蔵菩薩坐像が彫られている。満潮になると肩まで海に沈み、干潮になると全身が現れる。鎌倉時代後期、三原地方西部に勢力を張った在地領主を願主として、瀬戸内に数多くの優れた石造物を残した仏師・念心が生み出した [続き・地図]
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愛媛県最南端、美しく変化に富んだ海岸の入江に面する急斜面に、「石垣の里」として知られる外泊(そとどまり)集落がある。幕末から明治初期にかけて作られたこの集落は、高い石垣に囲まれた家々と、その間を山肌に沿って迷路のようにぬう石畳の路地・石の階段が、独特の景観を生み出している。家屋を囲む石垣は軒に達するほど高く、夏の台風や冬の強い北西の季節風による風害、潮害から家屋を守る役割を担っている。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
四国の西端部、宇和海へと突き出た岬の斜面に、海際から山頂に至るまで壮大な段々畑が広がっている。海を見下ろす急峻な傾斜地に累々と築かれた平均高1m以上にも及ぶ石積みが印象的なこの畑地は、地域の人々に「段畑」と呼ばれ、近世から長い時間をかけてつくられてきた。現在も営農が続けられており、根菜類が収穫されている。同様の段畑は、かつて宇和海沿岸に広く存在していたが、完全な形で残っているのは [続き・地図]
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