浜寺公園の松林(大阪府堺市・高石市)
13世紀、天亨年間に、三光国師を開基とする大雄寺が建立され、これを「浜の寺」と呼んだことに公園名が由来すると伝えられる。公園周辺は「高師の浜」と呼ばれる美しい松原の続く海岸であった。明治6年の太政官布達にもとづき、大阪で最も古い都市公園のひとつとして開設された。開設当時、伐採の危機にあって大久保利通がその保存に尽力したと伝えられる松林を今に伝える。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
近畿・中国・四国
13世紀、天亨年間に、三光国師を開基とする大雄寺が建立され、これを「浜の寺」と呼んだことに公園名が由来すると伝えられる。公園周辺は「高師の浜」と呼ばれる美しい松原の続く海岸であった。明治6年の太政官布達にもとづき、大阪で最も古い都市公園のひとつとして開設された。開設当時、伐採の危機にあって大久保利通がその保存に尽力したと伝えられる松林を今に伝える。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
昭和16年に発表された大阪緑地計画図において広域緑地・防空緑地として位置づけられた緑地。昭和43年に『都市の中の森林』というコンセプトでマスタープランの公募を呼びかけ、応募作品の中のアイデアを取り入れて基本構想が作成された。翌年から本格的な整備がなされ、多くの府民に利用されている都市公園。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
旧岸和田城内の新御茶屋跡に寺田財閥が昭和4年から約十年かけて造営した近代和風邸宅・庭園。昭和61年に所有者から岸和田市都市開発公社が購入し、平成4年に岸和田市が取得。平成21年よりがんこフードサービス株式会社が指定管理者として管理、飲食店経営をしている。 [続き・地図]
地域:近畿・中国・四国
北浜の米相場で財産をなした松井伊助が63才の時設けた別邸の庭園。建造物は、大正後期に建築された近代和風。ほぼ方形の敷地の北西に主屋を配置し、その周囲に池泉式回遊庭園が広がる。屋敷の周囲に築山を巡らして背景とし、南東隅から導水し滝を経て主屋前の池に注ぐ。灯篭他石材は巨石を用いている。和歌山県内に残存する近代和風庭園の代表事例として貴重である。(ろくさんえん) [地図]
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院は粉河寺の北東に隣接する地にあり、紀州藩の援助を受けて創建された。天保年間建立の庫裏は大型で、格式高い書院を備えている。庭園はこの書院の前に広がり、「洗心庭」とも呼ばれる。和泉山脈の高峰成高山を借景として取り入れた枯山水庭園で、庭自体大規模ではないが、借景により雄大な景観を生み出しているのが特徴である。借景式庭園として、和歌山県内では希少価値を有する。(じゅうぜんりついんていえん) [地図]
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