名寄公園(名寄市)

名寄公園1901(明治34)年、名寄に殖民地区画が設定され、その中に市街地面積の37%に相当する約69haの公園予定地が設けられた。1922(大正11)年に北海道帝国大学の星野勇三教授と前川徳次郎助教授によって設計が行われ、翌年から公園建設が行われている。計画図では運動場、池、競馬場などが示され、説明書ではミズナラ林の保護が訴えられていたが、その後、運動場、競馬場、ミズナラ林の一部は農学校用地として失われた。1989(平成元)年からの改修工事を経て、現在は名寄を代表する総合公園となっている。明治時代の殖民地区画に予定された公園用地が、実際に公園化され、現在も公園敷地の輪郭を留めており、当時の池やミズナラの自然林が残されていることの価値は高い。