高遠城址公園(長野県伊那市)
武田信玄が高遠(たかとお)城を大改修したのが1547(天文16)年。二つの川の合流地点にある高台の突端にあり、川から80mの高さにある険しい山城である。関ヶ原の合戦の後、高遠藩の中心地となった。幕末から明治にかけて描かれたと推定される絵に、本丸の南に位置する南郭には池と四阿(あずまや)がある庭園が描かれている。明治6年太政官布達第16号により、1875(明治8)年に公園と決定された。本丸と南郭がまず公園になり、高遠城の南にあった桜の馬場からコヒガンザクラが移植され、現在は1,500本の桜が茂る公園となった。城全体を公園とする予定であり、国により史跡に指定されている。桜はタカトオコヒガンザクラと命名され、長野県により天然記念物に指定されている。毎年桜の時期には観光客により賑わう。中世以来の山城が太政官布達後すぐに公園となる歴史性を持ち、公園整備として桜が移植された典型的な初期の公園である。(写真提供:伊那市)
地域:中部