斜交街路と大通公園(帯広市)

斜交街路帯広は、1892(明治25)年の市街区画の測設当初から、碁盤目状の街区に斜交街路が施され、火防線としての役割も担う、北米大陸の殖民都市の構造を持ち込んだユニークな都市計画が実施された。当初の斜交街路の面影を伝える鉄北地区の水光園通・双葉通は、1905(明治38)年の鉄道駅開設などでその存在価値は失われたが、昭和50年代以降は緑道として整備されている。この斜交街路は、1921(大正10)年の鉄南の十勝監獄払い下げ地の市街地区画でも継承され、市街予定地の小公園として道内初となる大通公園を極とする4本の完全な斜交街路が実現し、平成20年代後半になって緑道化されている。帯広の景観的特徴の一つである豊かな緑に、斜交街路や大通公園が大いに寄与しているとともに、北米の影響を受けた道内唯一のユニークな都市デザインや、都市の歩みを伝える遺産として貴重である。