大里地区の生け垣(徳島県海陽町)
徳島県のほぼ南端、高知県との境に位置する。大里(おおさと)は江戸時代、土佐藩に対する守備隊として配置された海部城の「御鉄砲」が居住していた地区である。海岸沿いの松林から一歩入ったところに、周囲の漁村とは全く異なる様相を呈している一角がある。入り組んだ迷路のような町割りで、各家には庭があり、それを槇や竹の生け垣が取り囲んでいる。建物は建て替えが進んでいるが、町割りや生け垣は今でも保たれている。
地域:近畿・中国・四国
徳島県のほぼ南端、高知県との境に位置する。大里(おおさと)は江戸時代、土佐藩に対する守備隊として配置された海部城の「御鉄砲」が居住していた地区である。海岸沿いの松林から一歩入ったところに、周囲の漁村とは全く異なる様相を呈している一角がある。入り組んだ迷路のような町割りで、各家には庭があり、それを槇や竹の生け垣が取り囲んでいる。建物は建て替えが進んでいるが、町割りや生け垣は今でも保たれている。
地域:近畿・中国・四国
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