広路(函館市)

東雲広路函館は大火の多い街であったが、復興のたびに街並の基盤を整えていった。1868(明治11)年大火後には西部地区の街区改正で、道路や坂道が直線状に拡幅され、1869年大火後には大規模な火防線として幅20間(約36m)の基坂や二十間坂が誕生した。さらに1934(昭和9)年の函館最大規模の大火復興では、当時日本最大幅員の30間と20間幅の緑樹帯と命名された街路が防火帯として設置され、緑樹帯の交点や起点には公園や鉄筋コンクリート造の復興小学校が配置され、防火都市の基盤を整えていった。函館の広路(ひろじ)は大火復興の歩みを伝える貴重な証人であり、現在も防火帯としての役割を十分に果たしつつ、緑樹帯として市民に豊かな緑を提供する貴重な遺産といえる。