日本大通り(横浜市中区)

日本大通り慶応2年(1866)の大火後、横浜公園の整備とあわせてブラントンの設計で明治3年(1870)に象の鼻波止場と横浜公園を結ぶように建設された道路である。県庁をはじめとする高格の建物が建ち並ぶ目抜き通りであり、車道にゆとりある歩道と緑地を併設した近代街路である。関東大震災後に幅員が削られたが、近年再整備によって当初の姿に近い形を取り戻している。