会津松平氏庭園(御薬園)(福島県会津若松市)

御薬園会津若松市の鶴ヶ城の近くに位置し、歴代の藩主がこよなく愛した徳川時代の代表的な大名型山水庭園です。歴史はおよそ600年前にさかのぼり、現在の形になったのは、元禄9年(1696)で、高名な作庭家小堀遠州の流れをくむ目黒淨定の手により本格的な庭園に築造されました。また、優れた大名庭園というだけでなく、御薬園(おやくえん)という呼び名で親しまれていることが大きな特徴です。寛文10年(1670)、会津藩2代藩主保科正経が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り、3代藩主松平正容が貞享年間に朝鮮人参(オタネニンジン)を試植し、その栽培を民間に広く奨励したことから、御薬園とよばれるようになりました。この朝鮮人参は、天明の大飢鐙で疲弊した会津を復興に導いたといわれています。庭園内には、約400種類の植物を栽培する薬草圏が今でも受け継がれ、守られています。