野中兼山の三又と水田景観(高知県香南市)

野中兼三の三又三又は、江戸初期に土佐藩家老であった野中兼山(のなかけんざん)が農業用に整備した用水路である。このおかげで、当地は豊かな穀倉地帯として発展した。3つに分岐することから、三又(みつまた)と称されている。昔そのままの石積みが残り、現在でも農業用水として使用されている。建設当時としても高い技術によって造られている水路の周りには、これによって開発された水田が残る。水路(三又)と水田、さらに周囲を取りまく林が一体となり、この地域を代表する「生業の景観」を構成している。